頼りになる『新人』
最近よく行くフォーク酒場で僕より一回り年下のK君と知り合った。フォーク酒場とは客がそれぞれ好きな歌を備え付けのギターで弾き語りできる店である。丁度一昔前のスナックで、見知らぬ人の中でカラオケを歌っているのに似ていなくもない。当然僕も含め、今やすっかり懐メロになったフォークソングを歌う者が多く、K君のような世代は珍しかったりする。ところがどう見てもJ-POP世代のK君が好んで歌うのが、なぜか「上を向いて歩こう」とかの昭和歌謡なのである。もう一人この店の常連でおなじみなのが、僕より更に年上のYさんだ。K君とYさんは二周りも年が離れているはずなのに、実に仲良く昔の音楽の話をしていたりしている。Yさんは交通事故の後遺症があり、少し足が不自由だ。心なしか足を引きずるようにしてステージに向かうYさんに、K君は実にさりげなく寄り添ってつまずいたりしないようにフォローしている。実はK君はとある介護施設に勤務する新人職員である。昔の歌を選んで歌うのも、施設に入所している老人たちに歌って聞かせると喜んでくれるからだと言う。僕は思う。ごく普通にしかYさんに接することができない僕とは違い、やはりK君は新人とはいえ介護の世界の人なのだ。これから先、介護し、されることがもっと普通であるようになった世の中で、もはや新人ではなくなったK君はきっともっと誰からも頼りにされる人になっていることだろう。
『転職』ってするもの?させられるもの?
長いこと終身雇用が当然のように思われてきた日本でも、バブル崩壊以降「転職」って言葉をずいぶん頻繁に耳にするようになりました。アメリカではキャリアアップの為の転職が当たり前なので、自ら前向きに“する”ことが多いようですが、日本ではまだまだ何かの事情で“させられる”または“せざるを得ない”イメージがぬぐいきれていないような気がします。例えば「家族の介護のために時間に余裕のある仕事に転職します。」とか。周囲も「それは仕方ないねぇ。」って言ってくれるし、自分でもその言葉で無理やり自分を納得させているような転職・・・。何か悲しくないですか!「自分の介護のために好きな仕事やめちゃったのか」と思う家族だってつらいだろうし。これからますます高齢化が進んでいくことは間違いない日本。家族の介護だってきっと誰もが抱える問題になっていくことでしょう。そんな時に迎える「転職」が決してマイナスイメージにならないように、その時々の自分の立場に合わせて職場を変えていくことが、もっと当然のことのように捉えられる社会であればいいのに、って思います。もっとも家族の介護のために転職しなくてすむような職場の整備も、絶対必要だと思いますけどね!
女性は介護の奴隷か!?
のっけから刺激的なタイトルですみません。もちろん私が実際にそう思っている、とかいう訳ではなく、これはジョン・レノンの楽曲「女は世界の奴隷か」(原題:Woman Is The Nigger Of The World)へのリスペクトでありパロディなんです。元ビートルズのジョン・レノンは、日本人女性オノ・ヨーコと出会い結婚した後の1972年に、女性の権利について歌ったこの曲を発表しました。何でもそれまでは女性が新聞を取ってきて男性がそれを読む、と当たり前のように考えていたジョンに対して、ヨーコが「なら私は私の為の新聞を購読するわ」と言ったことがきっかけになったんだとか。当時から進歩派だったはずのジョンでさえ、この時まで無意識的にとはいえ男尊女卑な傾向があったことには驚かされました。翻って私達の周りを見ると、未だに家事や家庭に関することは女性がやって当たり前という考えにとらわれていないでしょうか。介護についてももちろんそう。高齢化、要介護人口の増加は男女の別なく進んでいるのにいつまでもその負担を女性ばかりに押し付けていいはずがありません。今は介護保険を利用することでなんとなく目を逸らされているような気がしないでもありません。もっと根本的に考え方を改めていくことが急がれると思います。
トラブルを恐れずに取り組もう!
介護施設に入所している方たちの間では、様々なトラブルがあるらしいですね。認知症の症状がある方とかは時々突拍子もない行動をとることがあって、それがトラブルにつながるという話も聞いたことがあります。これは私の知人のことなのですが、近くで工事があって騒音が激しく皆がストレスを感じていた日、たまたま雨が降り出して職員の方が洗濯物を気にして立ち上がったとたん、驚いたのか普段はおとなしい知人が大声を出して腕を振り回したため、近くを歩いていた方がぶつかって転び怪我をしてしまったそうです。心身の状態に不安のある要介護の人たちが相手ゆえ、健康な人たちよりもそういったリスクは高いかもしれません。しかし何かあっては大変と慎重になりすぎたりしてはいないでしょうか。限られた人数で四六時中入所者全員にしっかり対応することは大変ですが、締め付けや禁止だけで何かを改善していくことはできません。幸い知人のケースでは、事故に対応できる保険に加入していたので怪我をした方には充分な保障をすることができたそうです。よく考えていろんなトラブルを想定し、準備できていればほとんどの事態には対応が可能だと思います。どうかトラブルにあうことを必要以上に恐れないで、積極的な介護への取り組みをよろしくお願いいたします。
『向上心』、持つことを負担に感じないで
何をするにしても向上心をもってあたることは決して悪いことではないはずです。例えば要介護状態にある人がリハビリに取り組んで少しでも状態を改善させようとか。そういう方にとっては改善とまではいかなくとも、いかにして現状を維持するかだけでさえ、多少意味は違うかもしれませんが向上心なくしてはできないんじゃないかと思います。問題になるのは「そうしなければいけない」と押し付けになってしまうことです。「お前は皆に介護してもらって負担をかけているのだから、頑張って良くならねばならない。」なんて、たとえ口に出して言われなくてもそういう雰囲気を感じるだけですごいプレッシャーだろうなとは容易に想像がつきます。良い方に取れば、それはその方に期待しているからとも言えるかもしれません。しかし一方的な思いこみは、される側にとってみれば負担でしかありません。好意からだと思えば拒否もできませんしなおさらです。もっと相手の立場を思いやれるよう、気持ちに余裕を持てればいいなと思います。向上心をもってもらうのは果たして何のためなのかをもう一度よく考えられれば、押し付けがましい態度はなくなるでしょう。そうすればそれを受け取る側も、頑張るのは誰かのためじゃなく自分のことなんだからと感じ、負担を感じずにもっと頑張れるのではないでしょうか。
やりがいという重荷を背負って
昔、就職情報誌か何かのコマーシャルで、背中に「やりがい」という貝を背負ったヤドカリみたいな人が出てくるものがあった。要は「やりがいを持って働く人を求む」という洒落なのだけれど、何かにつけひねくれたものの見方をしていた僕たちは、「あんなもの背負ってたら邪魔でまともな仕事なんか出来ないよな」とか愚痴っていたものだ。別に本気でそう思っていたわけではない。もうすぐ真剣に就職活動に取り組まねばならない、学生だった僕たちの一種の照れ隠しであり、また不安感の表れでもあったのだと思う。しかし現在、職場で過剰な成果主義や人間関係などのストレスに苛まれてうつ病になる人が増加しているというニュースを聞くにつれ、あの見方はひょっとしたら正しかったのかもしれないな、とも思うのだ。もちろん、やりがいを持って仕事をするのが悪いはずがない。いや、積極的にそうあってほしいと願って当たり前だと思う。しかし、「そうでなければならない」と考えすぎてしまうのは問題だ。いくらやりがいを持っていても、それで必ず成果が出るわけじゃない。うまくいくことも失敗することもあって、トータルで結果がでれば良いし、駄目だったからといってうまくいかなかったことだけを見る必要もない。だから介護業界で働く君たちも、過剰な責任感を背負い込まないでほしい。介護を必要とする人が減らないのも、介護施設の数が足りないのも、君たち個人の責任じゃない。やりがいはその人に自分で見つけて持つものであって、他人が決めて背負わされるものじゃないはずだ。
普段から心がけておきたいこと
要介護者に接する場合に、どんなことを心がけていますか。直前に匂いのキツイものを食べないようにすること?冗談は言わなくてよろしい。真面目に答えて下さい。とはいえ、ある程度身なりを清潔に保つことは必要だと思いますよ。やはり間近で接することもあるのですから、不快感を与えないように。はっきり話すことも大事ですね。これから自分が何をしますとはっきり相手に伝えること。それによって相手の方も安心しますし、協力してくれることもありますから、作業がスムーズに進みます。ただ、相手がこちらの言うことを充分に理解できない場合もありますから、そこはケース・バイ・ケースで慎重に。相手の持ち物を扱う時は特に慎重に。コミュニケーションは大事ですが、曖昧な態度が誤解を生むこともありますから、時には毅然とした態度を取ることも必要です。こちらが一日に何人にも対応していても、相手にとっては常に最初です。疲れている時ほど余裕を持って接することができるよう心がけて下さい。こうしてみると当たり前のことが多いようですが、だからといって常にそんな姿勢をくずさずにいることはなかなか難しいものです。特に要介護者個々に対応する中ではイレギュラーなアクシデントもよく起こりますから、そんな時でも沈着冷静に対応するためにはやはり普段からの心構えが必要です。同僚と情報交換したりしていろんなケースのシミュレーションをしておいても良いですね。もちろん個人情報や相手のプライバシーを傷つけることがないように、充分に気をつけて下さい。
介護業界労働条件の特殊性
介護業界の労働条件について改めてもっと具体的に考えてみると、まずその労働対象の特殊性をあげなくてはならない。この業界の現場で業務に携わる者にとって、労働対象とはすなわちヒト、人間である。日常生活をおくる上で介護を必要とする人が相手であれば、その対応には24時間切れ間がない。となればどうしてもパートを交えた複数で対応せざるを得ない。また対象が女性であった場合は特に、身体的なケアを男性にやってもらうのに抵抗感が強いであろうことは容易に想像できる。こうして考えてみると、介護業界の現場で他業界に比べてパート、女性のニーズが高いことには精神面だけではない合理的な側面も充分に認められるのだが。では報酬面ではどうか。その労働に特殊性が認められれば高い報酬が期待されるが、残念ながらそのようにはなっていない。いや、むしろ作業のきつさに対して安すぎるとまで言われている。これはもしかしたら、具体的な労働作業があまりに安易に捉えられているのではないか。介護が人間としての生活の介助であるならその作業が「誰でもやっている」日常生活の延長線上にあるのは当然である。しかし自分ではない他人の生活を、しかも何らかの面で支障のある人を、時を問わず支えていくのは決して「誰でもできる」ことではない。このあたりの捉え方の違いが、結局は介護業界の労働条件を改善していけないことの根底にあると思われる。今後さらに介護の重要性が増していくだろうが、まずは家庭で行われている(あるいは行われてきた)介護の価値について、もう一度報酬面も含めて考え直していく必要があるのではないか。
いつまでも子供じゃないぞ
僕が生まれてからこれまでに何かを運んだ中で一番緊張したのは何だったかというと、それは曾祖母である。当時小学生にしては身体の大きかった僕は、改築のために曾祖母の部屋をなくさざるを得なかった近所の親戚の家から、曾祖母をおんぶして祖母の家まで運んだのである。そしてそれから祖母による曾祖母の世話が始まった。今あらためて振り返るとその時の祖母は確か60代後半。曾祖母は90歳を廻っていたはずだ。これって今で言う「老老介護」ですよね。(もちろんその頃はそんな言葉は無かったのだけれど。)祖母にとっては実の母である曾祖母をもう他の親戚にはまかせたくなかったのだろう。祖母の家は我が家の隣で、食事やお風呂は共同の実質的な二世帯住宅だったから、否応無しに僕も曾祖母の世話を手伝うことになった。といっても食事を運んだり、空いた食器を下げてきたりするくらいだったが。結局曾祖母とはそれから4年ほど一緒に暮らした。曾祖母を看取った時の祖母のほっとしたようながっかりしたような顔は忘れることができない。そして僕が結婚して家を出た後、今度は母が祖母の面倒をみる番になった。ずっと同居していたも同然の実の親子だから、その期間は曾祖母の時よりずっと長かった。もうそれは「親の世話」というより「介護」と呼ばれる時代に入っていた。最晩年の何年かは介護保険のお世話にもなっていたはずである。曾祖母と変らぬ年齢になった祖母を見送った時の母は、曾祖母の時の祖母よりも年上になっていた。そんな母の顔を見て僕はあの時の祖母のことを思い出していた。「あぁ、やっぱりこの二人は似たもの親子だったんだな。」と。幸いにして両親とも元気なので、僕にはまだ親を介護する経験は無い。でも僕ももう「子供」じゃない。祖母や母と同じ形ではないにせよ、三代目の親をみる「介護」の日はそう遠くない。でもまだ当分は「老老」とは呼ばれたくないな。
民間介護保険の現状
なんとなく将来に対する不安感がぬぐえない今日この頃。万事において「自己責任」なんて言葉が覆いかぶさってくるようで、どうにも息苦しい。安心な老後を過ごすためにも、もはや社会保障にばかり頼ってはいられない。個人で老後の生活に備えるための方策を考えてみると、もちろんまず貯蓄がある。資金に余裕があれば投資という手もあるが、充分な知識がなければリスクが高そうな気がする。リスクといえば、万一の事態に備えて、民間の保険の保険に加入しておくことも選択肢に入れられる。個人年金保険は日常生活のためのものだが、もしもの病気や急な怪我による入院に備える医療保険の類も最近は種類が増えているようで、テレビのCMでいやというほど目に付くようになった。そういえばかつては民間の介護保険もあったようだが、こちらは最近とんと耳にしない。いったい個人介護保険は現状はどうなっているのだろうか。民間の保険会社で扱われている介護保険は、要介護状態になってその状態が相当期間継続したときに一時金や介護年金が支払われるという形式のものが多く、公的介護保険制度が始まる前から販売されていた。しかし今では販売商品ラインナップに載せていない保険会社もあるようで、あまり積極的には売られていないような印象を受ける。これは公的介護保険ができたことで、ある程度国民全体のニーズが満たされたからという見方もできるが、予想以上に進展する高齢化、介護状況の深刻さに民間保険会社も及び腰になってきたからとも思える。逆に見れば、保険会社が売りたがらないのは保険金支払い率が高いからで、契約者側からすれば有利な商品なのかもしれない。保険料や支払い要件など慎重な検討が必要だろうが、将来対策の一つに考えてみる価値はありそうだ。